こういう親がたまにいるという。
確かに、とりあえず読んでおけば賢くはなりそうだ。しかし当の親本人は、子供時代にそうする事で頭が良くなった経験が本当にあるのだろうか?
本が好きでよく読んでいる子というのは、スマホ主流の現代でも実は一定数いる。また、マンガが大好きな子もいる。SNSは勉強しない子ほど熱中する傾向にある。文字や文章に接する機会は人によって様々だ。
本もマンガもスマホも、すべて元来、人を賢くするために作られた物ではない。書物は、初めのうちは知識の保存や伝承のためにあったと考えられるが、日本最古の随筆、清少納言の『枕草子』は表現技法や文章のリズムは正直読んでいて楽しい。しかし、内容は大したことは書かれていない。「随筆」とは、簡単に言えば日記のことであり、現代のブログやTwitterにあたると言えよう。
文章には様々なものがある。読む目的が「学習」なのであれば、それなりの語彙が入っているものを選ぶと良い。しかし無理をして、身の丈に合わない本を読んでも辛いだけだ。人間は、内容が稚拙でくだらないと思った時と、自分の国語力では理解できないと判断した時に「面白くない」と口にする。
読んだ本の冊数を自慢し、あたかも自分が知識豊富な人間であるかのように振る舞う者もいる。これだけは全くもってナンセンスであり、まるで、中年サラリーマンがプロ野球中継を見て三振したバッターに「なんであんな球が打てないんだ!」とテレビに向かって叫んでいるようである。
幼児は親に絵本を読んでもらっている時、そこから新鮮な言葉を次々に吸収する。夢中になって想像する。意味が分からなければ尋ねてくる。その姿こそが、文字から学習することの原点である。
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